デューン砂の惑星Part2と13世紀の三国志:相関と粗筋の考察

➡映画雑記EZ
2024.3.8 先行上映
グランドシネマサンシャインにて先行上映初日鑑賞。
感想は最高、それしか言う言葉がみつからない。
ドゥニ・ヴィルヌーヴ(まるで熟成されたワインのようになめらかな響きだ)の手腕により、宗教・政治に焦点を当てた物語と、間違いなく現代最高峰の映像は、あらゆる映画の原典にしてSFの完成形と考える。
原作の影響はスターウォーズ、風の谷のナウシカ、そして救世主・アンチヒーローという点において、おそらくマトリックス、アバター、ひいてはゴッドファーザーまで。それらの作品群は、ヴィルヌーヴ版Dune鑑賞以降はあらためて視点や評価が変わるはずだ。本作によってヴィルヌーヴは、同じカナダ出身のキャメロン、IMAXを牽引するノーランと肩を並べたと言えるかもしれない。
パンフレット情報であるが、前作に引き続き衣裳を担当したジャクリーン・ウエストは、皇帝についてはモンゴルの統治者フビライ・ハーンを参考にしたとのことである。
Duneを鑑賞する作法として、歴史や宗教との関わりについて考えるのではなく感じることが重要だ。
以下は、当ブログで2023年7月に投稿したDuneに関係する考察である。Duneの「人物や勢力」の「相関や粗筋」について「イメージ」しやすいよう、その一助となれることを期待して。これから公開される本作の露払いとして、是非ご一読願いたい。
Dune 砂の惑星

Part2が控えるドゥニ・ヴィルヌーヴ版Dune、そのPart1は当時、劇場公開時にグランドシネマサンシャインにてIMAXレーザーGTで鑑賞できたことは良い思い出だ。

そしてその時に感じたことが『これは「13世紀」の「三国志」の「宇宙版」である』だった。

Duneのとっつきにくいストーリーに対し、独自の解釈を提案したいと思う。

クロニクルズ・オブ・バイバルス

Duneの面白みとは、歴史を見るように映画を観るところにある、と私は考える。

何を言っているかわからないと思うが、ありのまま起こったことを話すと…まず『13世紀の三国志』とは私が兼ねてから興味をもっていた(構想15年)歴史的事実であり、最古の世界大戦とも呼べるであろう、大別すれば『モンゴル帝国』『キリスト教国』『イスラム教国』の三つ巴の戦いが繰り広げられた時代のことであると個人的には定義している。

そしてその物語はバイバルスという一人の男の数奇な人生を追うことで、始まりから完結までの説明ができるのではないかというのが、歴史的事実に個人的な見解をプラスした名付けて『クロニクルズ・オブ・バイバルス(バイバルス年代記)』である。

Duneとこの年代記の比較をするにあたって、まずは『クロニクルズ・オブ・バイバルス』についての詳細を述べていく。

第一部 冥府の暴君

13世紀、それはモンゴル帝国がユーラシア大陸を席捲した時代である。

『チンギス・ハン(1162-1227)』がモンゴルの遊牧民族を統一し初代モンゴル皇帝として、モンゴル帝国の基盤を築き上げると、その子孫たちはさらに領土を拡大し大陸を蹂躙していった。

チンギス・ハンには4人の息子がおり、各々『①ジュチ(1177-1225)』『②チャガタイ(1178-1242)』『③オゴタイ(1186-1241)/第❷代皇帝』『④トゥルイ(1192-1232)』といった。

さらに①ジュチの息子として『⑤バトゥ(1207-1256)』『⑥ベルケ(?-1266)』。

②チャガタイの孫として『⑫ブリ(?-1252)』。

③オゴタイの息子として『⑦グユク(1206-1248)/第❸代皇帝』。

④トゥルイの息子として『⑧モンケ(1209-1259)/第❹代皇帝』『⑨フビライ(1215-1294)/第❺代皇帝(元初代皇帝)』『⑩フレグ(1218-1265)』『⑪アクリブケ(1219-1266)』などがいた。

そしてこの年代記は、一般に知名度が高いと思われるチンギス・ハン(1200年代初頭)及び元の初代皇帝となる⑨フビライ(1200年代後半)が活躍した時代のちょうど中間に位置する。

三部作からなる『クロニクルズ・オブ・バイバルス』は、まず『1240年/キエフの戦い』から幕を開けることとなる。

チンギス・ハン亡き後のモンゴル帝国は第❷代皇帝をチンギスの三男③オゴタイとし、1236年、総司令官をチンギスの孫の中で筆頭となる⑤バトゥに任せたヨーロッパ遠征軍を出征させる。

この遠征軍は各王家のネクストジェネレーションが参加する過去最大規模の遠征であった。そのメンバーは⑤バトゥ、⑥ベルケ、⑦グユク、⑧モンケ、⑫ブリ、さらにはチンギス・ハン時代の四駿四狗なる八大将軍最後の一人である名将スブタイまでも従軍していた。

現在のロシア一帯に侵攻し次々と諸国を征服、1238年にはモスクワ付近まで陥落させた。

1239年、トラブルメーカーであった⑫ブリとともに⑦グユクが総司令官⑤バトゥと対立し、③オゴタイ皇帝の命で⑦グユクと⑫ブリはモンゴルに帰還(⑧モンケもともに付き添う形で帰還)するという一幕があるも、1240年、⑤バトゥ率いる遠征軍はついに現在のウクライナであるキエフに侵攻することとなった。

この時点で、現代におけるモンゴル帝国の評価について考察しておきたい。

結論から言えば、バトゥはキエフを陥落した後に、目標どおりヨーロッパに到達し、その一軍はポーランド・レグニツァの戦場をドイツ・ポーランド連合軍の死体の山と化させた、まさに『冥府の暴君』といえる。

しかし、モンゴル帝国の征服による世界のグローバル化は、人類史のレベルの底上げに影響を及ぼしたことは事実である。ただし、後に語られる帝国の最大級の愚行は絶対的な悪としての立場を確立することにはなるのだが。

そして『クロニクルズ・オブ・バイバルス』は、第二部以降、キリスト教とイスラム教の関わりにも触れることになるが、あくまで中世に生きた登場人物たちによる人間臭いドラマを物語として語り継ぐことが趣旨であることを前もってお伝えしておきたい。

話をもとに戻すに、バトゥ・ハン、既にこの名は覚えていただいたと思われるが、この男こそが第一部の主人公の一人であり、まさに死と戦いの神とドイツ軍には恐れられたのではないか。

ここで、もう一人の主人公バイバルスが登場する。

バイバルスとは、『バイバルス・アル=ブンドゥクダーリー(?-1277)』という名の少年である。中東では最も有名な人物である彼の成す偉業については、この物語を追うことで語っていこう。

バイバルスは、詳しい生年は不明であるものの、黒海の北に位置する草原の遊牧民として生まれた。概ね14歳くらいの時にモンゴル軍に捕らえられることになる。

ここまでは史実として存在するが、モンゴル軍に捕らえられたというくだりから、急激に物語は進展する。このバイバルス少年が、暴君バトゥと出会っていたと仮定(実際にその可能性は在り得ると推察)することで、クロニクルズは動き出す。

ここからは、史実やフィクションを織り交ぜて物語を語っていこうと考える。

バイバルスの容姿は一見すると、中世では特に奇妙な見た目をしていたかもしれない。銀髪で、肌は褐色、両目の色が左右異なっていた。はたしてどの人種にカテゴライズされるのか、そして中性的で、さらに少年なのか大人なのかわからない態度、また性格はクールであるのに時に激情的であった。

バイバルスがバトゥと出会った時の感想は、畏怖の対象であると同時に憧れにも似た感情が沸き起こったかもしれない。

バトゥの目的は、『地果て海尽きるまで』、それのみだ。13世紀、シンプルにこの地球の最果てまで探求するのに、諸国を征服することを当然に持さないというスタンスだった。

バトゥの攻撃的なカリスマ性が、バイバルスの後の功績に影響を与えたことは疑う余地はない。バイバルスは『冥府の暴君』から兵法を学んだのだ。

ここからキエフにおける戦局を、そして第二部以降の戦いも、舞台から1000年前に活躍したメジャーな三国志の武将になぞらえることでイメージしやすいよう解説する。しかも各々、概ね2人づつフュージョンさせたキャラクターとしていきたい。

『クロニクルズ・オブ・バイバルス』、それは『桃園の誓いが存在しない裏切りと欲望の三国志:ゴッドファーザー・バイバルスの誕生まで』とも呼べるのである。

-1240- キエフの戦い

ジュチ家

バトゥ=曹操×夏侯惇

ベルケ=郭嘉×荀彧

スブタイ=典韋×許褚

(バイバルス=馬超×趙雲)

VS

キエフ大公国

ドミトロー=張遼×張郃

結果:モンゴル帝国(ジュチ家)の勝利。果敢に戦った敵将ドミトローはバトゥのはからいで解放。キエフ大公国は400年近い歴史に幕を降ろす。

バイバルスは、キエフの戦いの後に黒海の南、現在のトルコで奴隷を扱う商人に引き渡された。その際にバトゥから、バトゥ自身の出生に関係すると言われる大弓(大型の弓)を手渡された。バトゥの意図はわからなかったが、バイバルスはこの弓を生涯手放すことはなかった。

バイバルスはエジプト・アイユーブ朝の将軍アイダキーン・アル=ブンドゥクダーリーに購入されて、その姓を譲り受けた。さらにカイロに移住後は、アイユーブ朝の皇帝サーリフの命で、マムルーク(奴隷出身の軍隊)に入隊することとなる。

軍人として10年の時が過ぎる。

第二部 聖地の賢王

キエフの戦いの後、バトゥが総指揮する軍隊はポーランド・レグニツァまで侵攻。1241年、ドイツ・ポーランド連合軍にワールシュタットの戦いで勝利するも、第❷代モンゴル皇帝オゴタイ病死の訃報を受け、全軍をモンゴルに帰還させることとなった。

1246年、第❸代モンゴル皇帝は協議の結果、バトゥとは折が合わない⑦グユクが即位する。

グユクは2年に満たない在位の後に、バトゥに暗殺され、モンゴル帝国は再び皇帝不在の空位時代に入っていた。

キリスト教国であるフランス王国は、ルイ9世により統治されていた。

ルイ9世の最大の目的は、十字軍によるエルサレム奪還であった。弟のロベールは、勝利のあかつきにはエジプト王の地位を約束されていた。かくして、ルイ9世とロベールらによる第七回十字軍が出征された。

しかし実はルイ9世にはもう一つの目的があり、それはアイユーブ朝のシャジャルに奴隷として捕らわれた自身の友人を救出することであった。

1250年、エジプト・マンスーラで、キリスト教国を代表する『聖地の賢王』ルイ9世と、イスラム教国のアイユーブ朝皇帝サーリフの間でその戦争が勃発した。

戦いが始まってすぐに、アイユーブ朝皇帝サーリフは病没。その事実をサーリフの妻シャジャルは未だサーリフは存命しているとの隠蔽工作をする。

シャジャルにとって頼みの綱は、マムルーク軍団の長であった。軍団長の名はバイバルス・アル=ブンドゥクダーリーといった。

-1250- マンスーラの戦い

キリスト教国

ルイ9世=周瑜×陸遜

ロベール=孫策×太史慈

VS

アイユーブ朝

シャジャル=趙氏貞×祝融

バイバルス=馬超×趙雲

(クトゥズ=魏延×楊儀)

結果:アイユーブ朝の勝利。ロベールは戦死。ルイ9世は捕虜となるも、80万ベザント金貨という大金と、占領していたダミエッタ港を引き換えに、約一か月後に解放された。同時にルイ9世の友人についてもバイバルスによって解放、帰国を許されて後に画家として名を馳せるも、風邪が原因で死亡した。

アイユーブ朝は、シャジャルが初代女帝として建国したマムルーク朝にとってかわった。

バイバルスはシャジャルの政争に巻き込まれ、政敵クトゥズがシャジャルを暗殺すると、親友カラーウーンとともにシリアへと逃亡、10年の放浪時代に突入した。

第三部 世界を七周廻る者

1260年、クトゥズはマムルーク朝の第4代皇帝となっていた。

この10年の間に、空位であったモンゴル皇帝には⑧モンケが即位、さらにジュチ家ではバトゥが亡くなり、弟の⑥ベルケが跡を継いでいた。

第❹代モンゴル皇帝モンケは、弟の⑨フビライと⑩フレグに再び大遠征を命じていた。

各々、フビライには南宋方面の攻略を、フレグにはイスラム方面の攻略をさせた。

遡ること2年前の1258年、フレグはバグダードの戦いによって、アッバース朝を滅ぼし、帝国史上最大級の愚行を犯した。

フレグの征服によって、バグダードにおける7000年間に及ぶ人類の知恵が記された100万冊の学術書、そして建造物などの文化遺産が全て燃やされて破壊されたのだ。

このバグダードを攻略・指揮したのがフレグの懐刀、『極西の神人』と呼ばれた、最強の武力を誇る郭侃(かくかん)その人である。

フレグと郭侃の両名によって、まさに一つの文明が地上から消滅する危機を迎えていたのであった。

一方バイバルスは、砂漠の放浪者として、既に世界の最果てまで七周近くは放浪してきたと言われていた。

マムルーク朝はエジプトがバグダードの二の舞にならないためには、派閥を乗り越えた団結が求められていた。

かくして、バイバルスは自身を10年の放浪時代に追いやった因縁の相手である、今やマムルーク朝皇帝となったクトゥズとともに、モンゴル帝国との決戦に挑もうとしていたのであった。

そして三度、『クロニクルズは動き出す』。

バイバルスの前に、モンゴル帝国にとっての内通者が現れたのだ。それはバイバルスが十代の頃に出会っていた、ジュチ家のベルケであった。

ベルケは熱心なイスラム教徒へと変わっており、フレグによるイスラム世界の破壊を阻止したいと考えていたのだ。

ベルケの計略によって、南宋攻略中のフビライを利用することとなる。ベルケの案では、フレグと郭侃を相手に正面から戦いを挑んではイスラムに勝機はあり得ないと考えていた。

決して相手にしてはいけない『厄災』、それがフレグと郭侃であったのだ。

ベルケはフビライに対し、フビライがモンゴル皇帝になった際の互いの共存共栄を約束したことにより、フビライは兄モンケを暗殺した。

フビライは第❺代モンゴル皇帝の座を、弟の⑪アクリブケと争うことになる。

かくして、モンゴル皇帝を亡くしたフレグの軍はキトブカなる将軍に小隊を預けて在駐させるのみで、ほぼ全軍をモンゴルに帰還させることとなった。ベルケの計略が成功したのだ。

こうして、残るキトブカ率いるフレグ軍を打倒すべく、バイバルスとクトゥズはマムルーク朝の全勢力を投入して進軍することとなった。

しかし、キトブカが陣取るダマスカス方面に向かうには、キリスト教国であるエルサレム王国を味方につける必要があったのだ。

ダマスカスの手前に位置するエルサレム王国に、ダマスカスに進軍するマムルーク軍の後ろを預ける必要があるからだ。長らく敵対してきたエルサレム王国に、後方から攻められる虞を排除しなければならなかった。

ユーラシア大陸に世紀の決戦についての情報が、電撃のように走った。

動いたのは、フランス王ルイ9世だ。

ルイ9世がローマ教皇に進言、ローマ教皇は了承し、エルサレム王国に『マムルーク軍の通行許可及び兵糧の補給』を命じた。キリスト教国にとってもモンゴル帝国は脅威であり、今はイスラムと手を組む他ないというルイ9世の英断であった。

さらにバイバルスの盟友カラーウーンの交渉によって、歴史には残さないという確約のもとエルサレム王国に駐屯するテンプル騎士団3000人、ヨハネ騎士団1500人、チュートン騎士団500人がマムルーク軍に加わることとなった。

ついにイスラム・キリスト教国VSモンゴル帝国の戦いの火蓋が切られた。

『世界を七周廻る者』バイバルス率いるマムルーク朝の全勢力と、キトブカの小隊はほぼ兵力は均衡しており、どちらが勝つかは神のみぞ知るところであった。

くしくも戦場は、アインジャールート(ゴリアテの泉)と呼ばれる、ダビデが巨人ゴリアテを倒したという神話が残る『ジャイアント・キリング』の語源となる場所であった。

-1260- アインジャールートの戦い

マムルーク朝

バイバルス=馬超×趙雲

カラーウーン=諸葛亮×龐統

クトゥズ=魏延×楊儀

キリスト教国

ルイ9世=周瑜×陸遜

ジュチ家

ベルケ=郭嘉×荀彧

VS

フレグ家

キトブカ=姜維×文鴦

(フレグ=司馬懿×司馬師×司馬昭)

(郭侃=呂布×呂蒙)

結果:マムルーク朝の勝利。敗れたキトブカはバイバルスによって、マムルーク軍に投降させられた。キトブカはバイバルスの配下としてバヤンと名乗ることとなる。

バイバルスは勝利の直後に、クトゥズを暗殺。自身がマムルーク朝第5代皇帝の座に就いた。ベルケとはその後も親交が続き、ベルケの娘を妻として迎えることとなる。1277年に何者かに毒殺されるまで、イスラム世界をモンゴル帝国及び十字軍から守り続けた。

ルイ9世は生涯を十字軍に費やした。1270年、最後の十字軍を出征させたがペストに罹り死亡した。

フレグは、フビライらとの帝位継承戦争には参戦せず、西アジアに自身の国家であるイルハン朝を建設。イルハン朝(1260-1353)は奇しくもイスラム化し、そのイズムはティムール帝国(1370-1507)へ、そしてティムール帝国からムガル帝国(1526-1858)へと発展。実に19世紀までその存在感を残すのであった。

フビライは弟アクリブケとの帝位継承戦争に勝利し元(1271-1368)を建国、1276年に南宋を滅ぼして中国を統一した。後に、『第三次元寇』を計画することとなる。

クロニクルズ・オブ・バイバルス

【THE END】

製作 salad

原作 salad

脚本 salad

監督 salad

前日譚 -1190-

ワンス・アポン・ア・タイム・イン・モンゴル

完結編 -1290-

ラスト・オブ・アサシン

【公開未定】

Dune × クロニクルズ・オブ・バイバルス

いかがであっただろうか。随分、脚色されており時系列や数字や結果が史実とは大分異なっているとは思うが、13世紀のユーラシア大陸で三つ巴、四つ巴の戦いがロマンシングに存在したことは事実だ。

そしてDuneと対照していくと

ジュチ家アトレイデス家

キリスト教国ベネ・ゲセリット

マムルーク朝フレメン

フレグ家ハルコンネン家

という図式が成立しているではないかッ!?

Dune Part2の内容は、リンチ版やホドロフスキー版ドキュメンタリーによって概ねは把握しているが、『これは「13世紀」の「三国志」の「宇宙版」である』と直感で感じていたことは、やはり正しかったのではないかという結論に至るのであった。

しいて言うとレト公爵に対応するバトゥはキャラクターとして一致していないが、レトが行う『帝国』において最重要である『惑星アラキス』の統治は、同じく『帝国』において究極の目的である『征西』を敢行するバトゥと対称的な関係であることを踏まえると違和感はないのではないか。

最後に、Dune Part2はティモシー・シャラメが銀幕スターの系譜をトム・クルーズから譲り受けられるか否かの勝負でもある、と個人的には思っている。いや、きっとティモシー・シャラメは銀幕スターとは呼ばれないだろう。しかし、トップガンマーヴェリックでトム・クルーズが示した銀幕スターのマインドは継承できる可能性がある。

IMAXという白銀比のマジックは、現代の銀幕になり得るのか!?Dune Part2はアバターを超えて映画館で観るべき作品の一つだ!

2023/7/24

Dune 砂の惑星 Part2
あらためて、Duneの人物と対照してみると

バイバルス=ポール・アトレイデスA

バトゥ=レト・アトレイデス

ベルケ=ガーニイ・ハレック

スブタイ=ダンカン・アイダホ

ドミトロー=ジャミス

ルイ9世=レディ・ジェシカ

ロベール=レディ・マーゴット・フェンリング

シャジャル=チャニ

カラーウーン=スティルガー

クトゥズ=フェイド・ラウサ・ハルコンネンA

キトブカ=フェイド・ラウサ・ハルコンネンB

フレグ=ウラディミール・ハルコンネン

郭侃=ラッバーン・ハルコンネン

モンケ=シャッダム4世

フビライ=ポール・アトレイデスB

以上が、概ねのイメージとなる。歴史上の人物と見比べると、Duneの荘厳さをあらためて感じる。

Duneのキャストは真に映画ファンが垂涎する実力者が集結し、その豪華共演を堪能する愉楽に満ちている(特にウォーケンの皇帝がすごい)。

もしPart3があるとしたら、10年後くらいがちょうど良いのかもしれない。Dune Part2、必見である。

2024/3/13

 
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