ジョジョリオンとは何か?アニメ化に向けて*考察総集編

JOJO OLOGY

500日以上に及ぶジョジョリオン考察も終盤を迎え【総集編】となります。

これから述べるジョジョリオンのパラレル考察については、あくまで解釈の一つであるが、本編ネタバレを含むことから十分に留意していただきたい。

-ジョジョリオン結論-

そのテーマはジレンマ

最初に結論を述べると、ジョジョリオンとは様々な「シナリオ技術」を駆使した「荒木版マルホランド・ドライブ」である。

※マルホランド・ドライブ:2001年(米)、デヴィッド・リンチ監督作。「夢」と「現実」という解釈をベースに様々な考察がなされている伝説的な難解映画。テーマとしては一般的には、ハリウッドという「夢に破れた人間」の末路、とは言われている。今年1月に亡くなったリンチ監督は、生前「観客が自由に解釈してほしい」とアンサーしていた。

この映画を観たことがある人ならまず、わけがわからない、だろう。しかし何か琴線に触れて未だに映画ファンの間で考察が繰り広げられているカルト作の代名詞だ。

本来、ジョジョリオンはマルホランド・ドライブ、あるいは同監督作ツインピークスなどのような「抽象的難解作品」であり、鑑賞者に解釈を委ねるタイプの作品である。

マルホランド・ドライブとの共通点は、記憶喪失の相方と謎解きを試みる、または「別世界」と「現実」の境が曖昧な部分など。

ジョジョリオンはマルホランド・ドライブほど意味不明ではなくて、作並カレラの矛盾以外はある程度目をつぶればストーリーが成立してしまうことから、そのプロットは破綻しているという評価になりがちである。

将来的なアニメ化に向け、ジョジョリオンの受けとめ方について、個人的な見解を最後のまとめとしたい。まずは、シナリオテクニックごとにジョジョリオンを総括していこう。

Metaphor:直接的表現ではない暗示。マンデラエフェクトというギミックと並行世界についての伏線。

➡宝石の赤ちゃん【5巻22話】

リサリサの転生を想起させる。性別が男の子なので、おそらく並行世界から流れ着いた男の子バージョンのリサリサである。意味としては、新聞というメディアに並行世界の存在がメタファーされている奇妙を表現しているのか。

そして瞑想の松の穴が、別世界との出入口の一つであることに疑いの余地はない。

つまり並行世界側においては、1901年11月11日、宝石の赤ちゃんは瞑想の松付近で「行方不明」になったという経緯になる。

➡虹村「兄のは触れると爆発するだけのしゃぼん玉だった」【4巻17話】

虹村は過去に並行世界に迷い込み、吉良のスタンド能力に触れる機会を初めて得た際、並行世界の吉良の能力であるしゃぼん玉が、基本世界の兄である吉良吉影の能力であるとの誤認識をした。なお並行世界において、吉良と虹村の兄妹関係は存在しないと推察する。

吉良のしゃぼん玉の能力は、並行世界の吉良の能力であり、基本世界の吉良の能力はシアーハートアタックである。後に基本世界に迷い込んだ並行世界のエイフェックス兄弟からも、やはり並行世界の吉良の能力はしゃぼん玉であるとの言動を確認できる。

事実とは異なる記憶を不特定多数(少なくとも3人以上)の人間が共有する現象「マンデラエフェクト」なるスラングを用いて、並行世界の存在が暗示されている。

エイフェックス兄弟とは、本来の物語が追い求めるべき人物であるが、例えばエイフェックス「姉妹」でも支障はない代替可能なキーパーソンとも言える。

➡2011年、「3日前」の動きについて

並行世界の吉良が基本世界に迷い込む。基本世界の桜二郎が所持する壁の目にいる吉良の写真は、並行世界の吉良が基本世界に迷い込んだ際に、復讐の機会を窺っていた基本世界の桜二郎によって撮影されたものである。並行世界には聖なる遺体が存在しないことから、壁の目も存在しない。並行世界の吉良はマンションで基本世界の桜二郎の攻撃を受けるも脱出。基本世界の吉良の方は帽子を買って、基本世界の仗世文とともに基本世界のホリーと会う。

➡地下室【6巻24話】

2つの部屋。1つはまるで牢屋で定助のような水夫服が掛けられている。憲助曰く、果樹園の休憩所・果樹の研究や保管・夜露の部屋として使用していたとのことであり、それは基本世界における使い道となる。

➡つるぎ「あんたこそ早く帰っておいでよ、前いたあのお部屋に」【6巻25話】

康穂は瞑想の松の穴から、並行世界の地下室に迷い込み、並行世界のつるぎに出会う。このセリフは並行世界のつるぎのセリフで定助の中の吉良に向けてのものである。そして並行世界のつるぎは、基本世界を行き来する唯一の人物である可能性は考えられる。サイコパスといえる並行世界の吉良は何らかの理由で地下室の部屋にいた。並行世界において吉良は、例えば使用人等として東方邸に潜入した際に、東方家に捕らえられていたのではないか。

➡カレラ「札幌からやっと戻ってこれた」「や、やばい。し、失敗した」【11巻43話】

このカレラが並行世界から基本世界に迷い込んだカレラであると裏付ける不可解な言動。ジョジョリオン最大の矛盾であるカレラの存在に対する答え、つまり「作並カレラ=並行世界住人説(並行説)」である。

➡カレラの写真【11巻44話】

星形のアザがある仗世文、それはつまり並行世界では仗世文がホリーの子であるという事実。逆に並行世界の吉良の母は聖美であることが道理であり、吉良が母聖美を殺害しているとしたら桜二郎の吉良に対する直感についても整合性がある。

➡エイフェックス弟「ところであの女。よく半年間も持ちこたえていたな」【11巻44話】

並行世界のカレラの言動と一致し、半年間という基本世界の事実とは明らかに異なる時系列。作並カレラが仗世文(定助)と再会したのは「約半年」ぶりのはずであったのに、後の回想では「約一ヶ月」ぶりと判明する。

➡エイフェックス弟「しゃぼん玉で消し飛ばした。死んだ吉良の能力に似てるぜ」【11巻46話】

基本世界の虹村が並行世界に迷い込んだ結果の誤認識の言動と一致する。再び、事実とは異なる記憶を3人以上という不特定多数の人間が共有するマンデラエフェクトである。

➡カレラ「また会おうね。いつ会うか…は ヒ・ミ・ツっ・しーっ」【11巻46話】

この後、カレラは二度と劇中で姿を見せない。はたして無事に自分が本来生きる並行世界に帰れたのか。どうやら基本世界のカレラがその後定助に会っている描写がある。それは最終話で、カレラが基本世界における仗世文の母聖美の存在を定助に教示していたという事実が明かされていることからわかる。これは基本世界に迷い込んでいたと考察する並行世界のカレラでは成しえない行動だからだ。

➡新ロカカカ収穫まで残り13分【21巻83話】

基本世界における新ロカカカが収穫できる日時の13分前に、並列して並行世界で起きている出来事。つるぎが憲助の殺害にまるで積極的に関わっているかのような描写が、ラストバトル開始時に差し込まれる。

➡桜二郎「病気を交換して治すフルーツがあると、死んだ船医の友だちがチラッとしていた事を先日思い出した」【22巻87話】

基本世界の聡明な吉良であれば、このようなトップシークレットを口外しない。並行世界のサイコパス吉良が、並行世界に紛れ込んだ基本世界の桜二郎を利用しようとした結果である。

➡虹村がいない家族写真について

21巻83話において、虹村がいない家族写真が描写される。8巻34話の虹村が中央に写っている家族写真の対比となるが、83話の東方家における出来事については並行世界の描写である。虹村がいない東方家の家族写真に写る水夫服の男は定助ではなく吉良であり、これらは荒木的抽象画がなせる表現である。並行世界では吉良と仗世文が融合することは決してない。

Mislead:誤った理解へ意図的に導く。真のテーマを隠す誘導。

➡病【5巻21話】

理那とホリーの記憶が無くなっていくという共通する病状を、定助のリアクションから同一のものと混同させる。

➡怪しい吉良【2巻6話】

画鋲や女の合成写真などは桜二郎の仕業。吉良吉影に爪の収集癖等(ワサビやグリーンピースもわりと好きなのかもしれない)はあるが、他トラップなどはミスリード。

➡虹村「お前の家族に危害が及ぶぞ」【2巻7話】

定助のことを、自分をホリーの娘と知っていて近づいてきた敵だと思っていたため、虹村が定助を孤立させるため康穂に嘘をついた。

➡憲助「捕らえるんだ。どうせ定助の記憶が戻ることはないんだからな」【2巻9話】

特に矛盾点は無い。あくまで欲しいのは吉良の記憶であり、定助の記憶は存在しないことを憲助は理解している上での発言。

各種ミスリードは並行世界の存在をオブラートに包むことであるが、その流れを読み解くと、並行世界で紡がれる何かしらの物語における黒幕は、やはり東方憲助なのではないか(エクストラボスは吉良吉影)。

Trickster:秩序の破壊と真理の探究を併せ持つ二面性の存在。前記のメタファーやミスリードをさらに発展させたトリックスター。定助の矛盾した言動は実は並行世界の出来事を述べている。

➡定助「吉良は壁の目に何度も来ている」【2巻6話】

正しいかもしれない。しかし、定助のセリフは当てにならない。東方定助とは、決して狂言回しではなくあくまで物語を引っ掻き回すトリックスターである。その本質はジョニィと同じトリックスターであり、そして漆黒の意志の体現者である。真の狂言回しかつリオンの主人公は広瀬康穂であり、康穂のセリフはリオンの本質を全て語っている。

➡定助「吉良は虹村を家系図から隠すために東方家に忍び込んで探っていた」【4巻18話】

おそらく並行世界の吉良であれば、侵入に関しては敢行している可能性はある。しかし基本世界において事実はあくまで不明であり、トリックスターのセリフである。

➡手すりの印【2巻8話】

定助は吉良が腕や手すりに描いたと思っているがミスリードであり、そしてやはりトリックスターである。手すりや2階の床、ドア、机の脚など既に康穂が子供の頃から見ている印である。これらは康穂のスタンドであるペイズリーパークの能力で「予言」されていたという演出であり、全ては定助をゴールに導くための現象。

➡定助「(オレは)岩のようになって死ぬ病を追って、この杜王町に来た人物なのは確かだ」【8巻33話】

トリックスターであり根拠はない言動、そして結果的に違う。しかし並行世界における仗世文の出自をメタ的な視点で、ある意味解説している言動と考えられる。

➡定助に感情移入できない

記憶喪失の主人公定助への感情移入は難しい。そしてそんな人物の単体でのバトルが多い。このストーリー的にもメタ的にも孤独な戦いは、チーム戦や群像劇などで描いてきた歴代のバトルに対し明確に一線を画している。そして確かにこれまでとは違う新しい手法なのだ。

➡定助の目に宿る冷たい炎【7巻30話】

夜露が康穂を連れ去った際に垣間見ることができる。トリックスターの流れからの余談、炎の眼(まなこ)について。漆黒の殺意はジョニィだけのものであり、特別で異常だ。定助のものは漆黒の炎ではないが、殺意の片鱗ではあると考える。7部以降に見られるこの描写は、無意識に炎に支配されていく恍惚の表情、苦悶の表情、そして覚悟の表情などの眼に灯される。

MacGuffin:中身は何でも構わない代替可能な物語の動機付け。記憶を追い求めるパートの原動力。

➡記憶の男【1巻5話】

ジョジョリオン最大の謎といわれる。想像の余白が残されたこの人物をあえて解釈するに、可能性があるのは吉良吉輝である。吉良吉影の父吉輝であれば、あの違和感のある家系図のそもそもの発端である人物であり、毎巻のコミックス人物紹介でファミリーツリーの影として記載されてきた経緯もある。おそらく悪人ではないその人物像は単純に吉良吉影にとって父と子の思い出であるはず。それであれば美談として完結させることができるし、確かにあえて説明する必要はない。

そして、シンプルに記憶を追い求める動機付けとしてのマクガフィンであると考えることはできる(あるいは残された余地故にそうではないプランもあり得るだろう)。

Motif:作品のシンボル。本作においては都市伝説的な怪異。

➡壁の目【1巻1話】

瞑想の松の洞にジョニィが聖なる遺体を持ち込んだことがきっかけで、超常現象が発生するようになった。壁の目の役割は、瞑想の松の洞のみで起きていた等価交換が壁の目一帯で起こり得ることと、その現象自体を守護すること、さらにスタンド能力の発現もしくは覚醒または深化である。

➡歯形【1巻1話】

聖なる遺体による奇跡の現象に関係することは想像に難くない。壁の目が悪魔の手のひらと同等の存在であるとすれば、壁の目は本来、悪魔の目という呼称が正しいのかもしれない。悪魔の目に適った者だけが、歯形をつけられてスタンドという武器を授けられる。これは逸話としてキリスト教的でもあり、ギリシャ神話的でもある。動かないシリーズでも異文化の神々に言及している。

➡聖なる遺体【5巻22話】

オータムリーブスが発現した理由が、聖なる遺体の影響で残留した黄金回転の余波であると受け取れる描写は、転じて壁の目の等価交換は聖なる遺体が原因であるとの意味。

➡透龍の目的や背景の掘り下げが浅いし、登場があまりにも遅いラスボスで、どうしても倒さなければいけない存在と思えない…と感じる方も多いと思うが、透龍は正確にはラスボスではない。ワンダーオブUもあくまで怪異であり、厄災にバックボーンは無いし、共感することも無い。そして第一話から怪異と厄災の不穏は常に漂っている。

ロカカカ6251をもしも医療技術ではなく、生物兵器と解釈した場合…岩人間ほど凶悪な生命体はいないだろう。

不信の停止の喪失:鑑賞者が非現実的な物語に没入することが失われた状況。

マルホランド・ドライブとジョジョリオンの決定的な違いとして、後者本作は「不信の停止」という技法が喪失していることにある。しかし「不信の停止の喪失」ですら技法であると考えた場合、実に成功している。現に、ほとんどの読者が喪失したままの感想を抱いているのだから。ジョジョリオンは謎という円環で構成されている。潜在意識にまで透徹して魅了する永久機関だ。

しかしながら、原作では成立するこのプロットも、いずれ来たるアニメという大衆的メディア化にあたり、少しばかりの追補あるいは編集は必要であると考える。それは改変や修正ではない。この完璧なまでに美しい原作をあくまで補強することが目的となる。

そして求められるのはランプシェーディングだ。

まとめの前に今一度、ジョジョリオンのテーマであるジレンマ、そして導き出される裏テーマについて考えていく。

Theme:作品のメッセージ。本作が真に挑戦したのは…人間賛歌「以外」のもの。

➡岸辺露伴は動かないシリーズによる補完。

理那(兄弟の序列の詳細は不明であるも、家系図の配置に統一性はないことから病を継承する長女と考えられる)の遺伝子による東方家の呪いが、子孫であるホリーに発症していない理由について。ネタバレに注意していただきたいが、動かないシリーズの望月家のエピソードにヒントがある。望月家の呪いの場合、身も心も嫁に行けば一族の呪いから解放されるという描写がある。理那の場合は、理那自身は嫁いでも最後の呪いの保有者であるが、本来ジョージⅢ世以降は呪いから解放されたのだろう。

動かないシリーズによる決定的な補完…ジョジョリオン終了後に掲載されたドリッピング画法については以下のとおり。

➡定助や康穂が、ホリーを誰と融合させる気だったのかという疑義。

新ロカカカの効果は作中で常にぼやけている。常敏は融合現象が起きるといい、透龍のリアクションから伺えるのは他者との等価交換だ。最終話では、透龍が聖なる遺体の影響下にある土地でロカカカを育てる実験をしているかのような描写があった。最もロカカカに明るい透龍の予想がひとまずの正解であった。

新ロカカカと壁の目の土地の効果に違いはない。常敏が壁の目を使いたがらないのは、母花都の事件を教訓としているからだ。新ロカカカを失った定助がホリーを救うのに壁の目を使わないことは、ホリーが誰かとの等価交換を望むわけがないからだ。

ここでパラドックスが発生している。新ロカカカを求めたその果てにあるものとは?

家系図を調べた結果たどり着いたホリーから発せられたのは、再び家系図を調べてほしいという出発点への回帰。そして最終局面では、ロカカカで病になったホリーをロカカカで治そうとする。

まるで己の尾を噛むウロボロスの蛇だ。前記モチーフのとおり様々な異文化の伝承・神話が用いられており、ウロボロスは古代ギリシャ発祥であるが、カルマ(業)という仏教的な思想とも捉えられる。

ホリーが救われない不条理について。岩人間の存在が生命の滑り止めであると同時に、地球にとって待望の新薬であると考えた場合。

ジョジョサーガ全体のテーマ人間賛歌とは、人の性善も性悪も全てを肯定することのはず。とはいえ、ここまで環境破壊を中心とした看過できない幾つもの問題を抱える人類を賛歌だけで表現でき得るものなのか。動かないシリーズのドリッピング画法でも、環境問題への皮肉が垣間見えるように、そもそも賛歌だけでは乗り切れない事態になっているのが現在の我々が住む母なる惑星だ。

病から解放されない聖母はこの問題点における特異点であり、禁断ともいえる人間賛歌以外のテーマを象徴的に隠喩したのではないだろうか。

そしてもちろん、裏テーマのアンサーも「GO BEYOND(越えて行く)」であることに間違いない。

-ジョジョリオン総括-

まとめであるが、ランプシェーディングについて。例えば、登場人物に「この町の人間は奇妙だ」、この一言を言わせれば良い。あるいは「この町は何かがオカシイ」等でも結構だろう。

ランプシェーディングとは、筆者も数日前に知ったネットの受け売りで恐縮だが、実際にこういったシナリオ技法があるらしい。つまり不信の停止の喪失は、基本的には免れたい現象であり、それを回避するために登場人物にあえて読み手の心情を代弁させるテクニックだ。結果、読者は意図的に意味不明な状況を描いていることを理解できる。

その役目はトリックスターである定助かカレラ等が相応しいのだろう。

追い詰められたジレンマの向こうに不屈の魂が在るのか。

以上でジョジョリオン考察は完結。リンチ監督曰く解釈は委ねる。そしてジョジョリオンにも通ずるものがあることだけ伝われば筆者としても本意です。

定助や康穂に、鮮やかな色が付いて動きだすその日まで―。

2025/6/10

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